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エンジニアの良心

クラッチ欠陥も虚偽報告か 三菱ふそうリコール届け出

欠陥を認識していたのだろうか?認識していなかったのであれば、トラブル管理体制を含めて無能であったということ。無能は日本では免罪符のように使われるが、許される罪ではない。

認識していたのに隠したのであれば、これは良心の問題だ。お金を稼ぐために何をやってもいいのか?という問いになる。

多くの製造業、あるいは建設業なども含めて、現場では手抜きが発生する。設計はそれを見越してマージンをとるが、現場はそれを見越してマージンを削るわけだ。そこでどこまで削るかというときに、現場のレベルが問われる。
エンジニアが働いているのであれば、そこで個々のエンジニアの博識さと良心が問われることになる。

サイエンスを志す人間は、不利なデータも消してはいけない。きれいなグラフにならずとも、それを表示し、必要ならなぜそういう特異点がでるのか説明し、聴衆を納得させることが必要だ。

ここからこぼれてエンジニアになった人間は、不利なデータを消すかもしれない。しかし、消していいデータといけないデータはある。
そこはまさに良心、モラル、美学といったものであり、それが製造業の最後の砦だ。 会社になんと言われても、上司になんと言われても、それはできないと言えなければ、そこにはもうエンジニアの良心はない。
それはエンジニアリングという信仰であり、許されない証拠隠滅や許されない不作為は踏み絵と一緒なのだ。

踏み絵を踏んで転んだ人間を責めることもできないのも確かだ。エンジニアも一人の人間であり、生活がある。どこの誰ともわからぬ人間が何百人死のうと、自分と自分の家族を生かすというのもまた選択である。
責められることは無い、しかしもはや背教者でしかない。

会社という組織がエンジニアを使うとき、最大限の努力を引き出せるのは、そこにエンジニアの美学があるからに他ならない。やってもダメかもしれない、うまくいってもどれだけ自分に帰ってくるか不明、待遇報酬に大差なし、それでもブレークスルーに努力できるのは美学の追求、信仰の成果だ。信仰を利用するなら、背教せずに済むようなセーフネットも設けて欲しい。


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