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June 14, 2004

陪審は心配

12人の怒れる男/評決の行方

CATVでやっていたので、上記映画を見た。アメリカの陪審員を描いた作品だ。有罪なら死刑になる犯罪で、みんなが有罪だと思っている。しかし、人の生死にかかわることを有罪っぽいから有罪って一言で片付けていいのか?ということから一人の男が論議を始める。。。という話だ。

アメリカ人は無知無教養な人が多く、常識もない。しかし、良いところとしては長いものには巻かれないところだ。あるいは出る杭になるところ。自分が良いと思うことをするのに抵抗が少ない。会社や周囲の人、世間と言ったものに遠慮して言うべきことを言わないとかやるべきことをやらないということは日本人よりずっと少ない。

日本で陪審が始まったら、みんなが有罪って言っているのに、無罪って主張して議論できる人がいるのだろうか?
人種差別や貧困を理由に感情的に有罪と決め付けるなんていうのはアメリカより少ないだろう。しかし、みんなと違う意見を通せる人はほとんどいないと思っていいのではないだろうか。

論理展開や法体系をあまりに理解できない人が感情と大声だけで陪審を支配し、良識的な小心者は異を唱えられないという陪審は容易に想像がつく。裁判官があまりに市民生活とかけ離れてしまう問題点もわかるが、人の人生を左右するにはあまりにふさわしくない市民を陪審にするのも私は反対だ。

有権者の半数あるいは1/3くらいが合格するくらいの論理・一般常識テストを用意して、それをパスした人間を陪審にするくらいが一番いいと思うがいかがなものだろうか?

投稿者 kid : June 14, 2004 08:47 AM

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