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独善的な思い込み

警察幹部「悪夢のよう」…長官狙撃事件の釈放

~引用~
「結果が出なかったのは残念」と語った後、「後悔は全くない。(今も)オウムの関係者が組織的に行った犯行に間違いないと思っている」と続け、「見通しが甘かったのでは」との質問には「予断を持って捜査した訳ではない」。さらに「マイナスはなかった」「強制捜査で得た資料を今後に生かしたい」と、むしろ捜査の意義を強調し、責任問題に質問が及ぶと、「全力で取り組んできた。責任を問われるようなことは行っていない」と語気を強めた。
~引用終わり~

立件できなかった事件(つまり法的に犯人がこの人だと言えない状態)について、「オウムの犯行に間違いないと思っている。」とコメントすることは「余談を持って捜査」していると宣言しているようにしか思えないのだが。立証できるような証拠が不足しているから起訴できなかった(つまり証拠不十分)にもかかわらず、特定の人間(集団)を犯人に間違いないと思うというのはどういうことか。

全力で取り組んで成果が出なかったから責任はないというコメントは自らが無能であるという宣言と犯人を必ず捕まえるという崇高な目標は放棄したという宣言であろうか?
殺人未遂の犯人を、拳銃を使用した犯人を、警察のTOPの暗殺を試みた犯人を、捕まえられないという状態が許される範囲だと思っている。絶対捕まえなければならない、捕まえて初めて原点だ、捕まえるのが当たり前だ、と思っていないということだろうか。

朝日新聞社の襲撃とか、民主主義国家に対する挑戦、体制を崩壊させかねないような重要事件もそういえば未解決だった。

勝手に犯人を決め付けて逮捕する手法になれきって、捜査能力の衰えた警察には、所詮無理な事件だったということだ。ダメ人間の集合体だから全力でやってもできませんでした。頑張ったんだから責めないでよ。とコメントできる神経が素晴らしい。


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