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November 23, 2004

敗者と弱者

敗訴者負担法、政府廃案へ 日弁連や野党の反対強く - asahi.com : 社会

日弁連のいいぶんとして、負けた者の負担が大きくなるから、弱者保護のため反対ということらしいのだが、はたしてそれで良いのだろうか?
たしかに国家や大企業を相手にした場合、とても個人が払えないような金額になる可能性はある。一定の線引きは必要かもしれない。ただし、負けたもの=弱者というのはおかしい。

司法制度は裁判の結果が正しいという前提に基づいている。もちろん間違いはあるかもしれないからという理由で三審制になっているのだが、最終的に最高裁までいけば間違いは無いという価値観に基づいて行われている。真理としてはともかく、そういう前提に基づいてなかったら判決が出ても従わないという選択肢を正当化することになってしまうから、少なくとも司法に携わる人間は審判は正しいというポリシーでなければ裁判制度自体が成立しない。

であれば負けた人間は正しくないのであって、弱いから負けたわけではない。それに絶対勝つというくらい自分の主張に正当性を持ち自信を持たないのであれば訴えるべきではない。

現在、裁判を訴えることをためらわせる最大の理由は、自己の主張が正当で当然認められるべきだと思っていても、勝っても労多くして報われないことだと思う。経済的、時間的負担が多く、しかも勝訴しても得られるものが実利的でないことだ。それで泣き寝入りの方が安くつくという状態になっている。

裁判に勝訴した場合、もともと訴因になった受けた損害と勝訴を勝ち取るために要した経費を合わせたもの以上が手に入らないのであれば100%勝てる訴訟も損失にしかならない。勝訴側の弁護士費用の一部を敗訴側からもらったところで、勝訴側の懐に入るわけではなく、勝訴側の損失をわずかに抑えるにしかすぎないのであるから、これを認めるべきだと思う。

裁判に勝訴したからには絶対に正しいのであって、敗訴した側は過ちを償って当然だと法曹界が認めないのであれば、司法制度そのものに信頼がないと認めているのと同じだろう。
国家が関与した裁判においては、司法制度に国家の影響力が無いとは言えない現状もあり、国家相手の訴訟の敗訴の場合はそれを例外とするというくらいならわからなくもないが。

投稿者 kid : November 23, 2004 11:51 AM

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