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March 4, 2005

日本人である意味

「武富士」前会長の長男、贈与税1600億円申告漏れ指摘 - asahi.com : 社会

父親の財産を外国の会社に移し、息子も別な外国に住んでいる状態で贈与を受けたから非課税だったが、その移住を脱税目的であるとして課税したというもの。
もちろん、節税目的がなかったわけではないだろうけど、形式をきちんと踏んでいる(ビザの取得など)にもかかわらず課税できるのだろうか?つまり、主観的に節税目的だと認定するだけで国税に都合よく解釈できてしまうことに問題があると思う。外国でアパートで暮らし、月1回は帰国して日本で会議に出て、というのを生活の本拠が日本と認定できるなら、逆に外国での課税を返してもらわなければならず二重課税になってしまう。通常は滞在している日数が最も多い国が生活の本拠になるはずだ。
居住移動の自由が人権として認められているのであれば、外国に住んでみたいと思ったから外国に住んでいたという理由で税申告をしていることにケチはつけられないと思うのだが。
ここまで大掛かりなことをするくらいだったら、国籍も変えてしまえば良かったのに。。。と思う。

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コメント

正論としてはおっしゃるとおり。
でも,人権だけで国は成り立たないし。
具体的には武富士はやっつけないといけない,という国策なんだけど。
それが良いかどうかは別として,人権なんてたいしたものじゃないですね。
人権も全体のバランスの中で語られれるべきとわたしは思い,それが金科玉条のごとく語られるとき,しょせんは犬の遠吠え,アンチテーゼでしかないと思います。

法の適用は主観による判断ではなく、行動や事実による客観的な規定で適用されるべきだと思うのですが、なかなかそうはなりません。現実問題として、完全な客観主義が難しいこともわかります。
一番大事なことは、この国はそういう国であるという認識を持つことでしょう。

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