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April 22, 2005

謝ったということは

中山文科相:
ゆとり教育は「反省すべき」と中学生に謝罪

今回の文部大臣は教育熱心な人で、多少保守、多少右寄りなところもあるが、とりあえず教育には関心があるようです。逆を言うと、今までの文部大臣は教育に関心がないか、教育の失敗の産物だった人ばかりでした。

公教育がレベル低下をしたり、要求水準を下げるとどういうことが起きるか?教育熱心な家庭や学校以外の教育にお金を投入できる家庭の子供が比較的高い能力を身につける可能性が大きくなる。(もちろん、中には伸びない子もいるが、全体の傾向で見たら学校以外の家庭、塾、予備校でも教育を受けたほうが有利なことは確か)それは何を意味するかというと、教育熱心または経済的にゆとりがある家というのは、日本全体の中で富裕層側に近いサイドに属しているため、アッパークラスはよりアッパーに、ロアークラスはよりロアーにという分離が進む。結果としてアメリカのような階層社会化が促進されるだろう。
現文部大臣は野球のユニフォームも買えないような経済状況の家庭から苦学して東大に進学したそうだけれども、そういうケースは階層化が進めば消滅していく。本来日本の公教育は貧富の差に関係なく高等教育が受けられるチャンスがあり、アメリカの進学システムを知るにつけ、日本の公教育が非常に良かったことを実感するのだが、ゆとり教育によってそれは崩壊しつつある。
文部省をはじめとして、日教組、学校の先生の大部分が自分たちの従事している教育システムという競争での落伍者と敗者ばかりなのだから、自分たちができもしなかったことを他人に教えられるわけもない。料理が下手で就職できないコックが料理学校を開いているようなものだ。いっそ第二文部省を作ってゆとり教育学校と決別してはどうだろうか?
同記事中に”教諭から「総合学習の時間は必要だ。子供が荒れる原因は偏った学力による」などとゆとり教育の維持を訴える意見が相次いだ。”という記述があるが、学力が高い子が事件や犯罪を起こすとニュースになるのは何故かわかっていないらしい。それは珍しいからだ。アメリカで黒人の殺人事件はニュースにならないが日系人の殺人事件は全国ニュースになるのと同じだ。特に最近の若年者による「損得勘定ができていない犯罪」は明らかに学力不足によるものだと思う。こんなバカな教諭に教わっていたのでは、まともに育つ訳も無い。いわいる学校崩壊が問題になる以前から、受験戦争の弊害と言われていたが、現実には受験戦争に参戦しない人がほとんどだった。一番厳しい時代だって、寝食を削って、生死を賭けて従軍していた学生なんて何%いたのだろう?自らが学力もなく努力もしなかった教諭に教育など語って欲しくない。

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コメント

教育に携わる人たちは2流です。
国家公務員1種合格者のエリートが目指すのは経産省や財務省で,文科省に入るのは凡人レベル(前者は司法試験にも合格したうえで役人になる)。他方で現場の教師は,ご指摘のように覇気も能力も社会性もないのに人前に出て支配欲を誇示したい人が多く,そんな体制でまともに「人を育てる」なんてムリムリ。

教育の私事性は「進歩主義者」(左翼)がよく主張するところ。「国家的価値を教育の名で洗脳するのは『非民主的』だ」と。が,それは,この記事で書かれているように,「進歩主義者」が批判の対象とする階級格差を拡大する温床になっているんだからちゃんちゃらおかしい。

日本の裁判例や憲法学者の通説的見解に依れば,教育内容は,一方で親や現場の教師等の国民と,他方で文科省(国)との双方で決めるというらしいのだけど,わたしの意見としては,時代に応じて国が決めるべき時と国民が決めるべき時とがある。今は,欺瞞的な戦後民主主義教育の欠落を補う必要上,国が決めるべきだと思いますよ。

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