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April 26, 2005

鉄道事故その後

アメリカのCNNでもTop記事になっていました。世界中での関心も高そうです。客観的に見ても日本ほど正確かつ安全に大量人員輸送を定着させている国はまずないので、環境保護主義者や反個人主義者やその他の鉄道推進派の人にとっては日本は一つのモデルケースだっただけに衝撃は大きいでしょう。鉄道の方が輸送エネルギーの節約になるとか渋滞の解消になるとか通勤時間が短縮されるとか言ってこられたのは全て安全に定時に着くのが言うまでもない前提になっていて、それが崩れた場合、話は大きく変わってくる。他人の運転で事故にあって大量に死者が出るくらいなら、自分で運転できる車の方が良いと思う人が多くてもおかしくはない。

運転士が遅れを取り戻すために速度違反していた説が現在有力だが、それではどうすれば防げるか?の議論が間違った方向に行っている気がしてならない。
大方の論調は定時性に拘りすぎるとか遅れの管理がきつすぎるとか、遅刻を多めに見ていればこんなことにはならなかった、みたいだ。これじゃ基準が満たせないから要求水準を下げたゆとり教育と同じではないか。
一つ前の駅でのオーバーランは初期報道で8m、今では40mだったとされている。これが真実であれば、明らかに運転士として欠格の人間が運転していたか、適格な運転士だとすれば車両に問題があったとしか言いようがない。「電車でGo!」をやったことがある人ならわかるが、40mのオーバーランは、つい、うっかり、のレベルではない。この運転士が過去には100mのオーバーをしていたらしい。それが機械起因でないのであれば、そんな運転士を運転士として運転させ続けたほうが問題だ。定時性の要求水準を下げるのではなく、要求水準を確実に満たせるほどの技量の持ち主以外は解雇するのが正しい方策ではないだろうか?高い水準を掲げ、それについて必死の努力をし、できたものには高い報酬を、できないものは甘やかさずに合格させない、そういう体制をとらなければ世界の信頼を得られるシステムは復活すまい。もし、そういう不断の努力をできないのであれば、もう運転士などやめて全部無人にすれば良い。

投稿者 kid : April 26, 2005 06:11 PM

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