« 管制官という仕事 | メイン | あーやだやだマスコミのいじめ »

列車事故と甘やかし体質


尼崎脱線事故:コース変更で急カーブ発生 事故の背景に

急カーブにしたなら安全装置もつけるべきだった。うん、これはその通りだと思う。しかし、運転士が規制速度を大きく逸脱して運転するのであれば、どこまで設備で守れるのか限界があるのも事実。全線全開で運転できる線路にするにはお金がかかりすぎるだろう。

尼崎脱線事故:遺族ら「利益優先が人を殺したんですよ」

もし速度超過が原因なら、むしろ利益優先してダメ運転士のクビを切っていればこんなことにはならなかったと思う。出来が悪くても仕事から外さない温情体質、もしくは罷免や解雇ができない日本の雇用システムが原因だと思う。

対向特急あわやの緊急停止、偶然の発光機作動…尼崎

偶然作動した危険信号にも反応して近隣の電車を全部止めた運転士もいるわけだから、JRの現在のダイヤ優先体質でもきちんと安全確保をする運転士もいることは間違いない。そういう高品質な運転士を大事にして、問題がある人間は運転士にしなければ事故は起きない。

asahi.com: 事故の砂煙見て緊急停車、二重事故免れる 宝塚線の特急-'ľ会
制限速度を守るのはもちろん、黄色信号も守るし、異常があれば周囲の電車を止める運転士もいる。それが当然なんだけど。

出来が悪くて電車をコントロールできなかったどころか制限速度を逸脱して脱線させた技量の未熟さに目をつむり、要求された水準が高いことが原因だというのでは本末転倒だと思う。これでダイヤを緩和とか規定を緩和とかしたらゆとり教育と同じ過ちを犯すだけ。国民の総意であてにならない運行でも良いというならそれでもよいが。要求水準を下げれば安全が増すことなどないと私は思う。よけいダメ運転士が増えるだけだ。時間の要求が厳しいのはトラックの運転手も一緒だし、どっちがダイヤを守るのが難しいかを言ったら鉄道でないことは明らかだ。

速度規制装置についても議論されているが、これは運転士がまともに運転できるという前提を放棄することと一緒で、運転士が危険速度で運転したことは「想定外」とするべきだと思う。もし、それを「想定内」とするのであれば、もう運転士に運転させるのはやめるべきだろう。運転士は不測の障害を見つけたときの非常ブレーキだけ持たせてしまえば良いし、技術的にはそれも可能。むしろ経営側は完全無人化したいくらいだろう。新幹線導入時にすでに無人運転は検討されて、労組などの反対で有人運転をしているのだから。

私はJRの責任を問うならば、大オーバーランをした運転士を運転士として働かせ続けたことだと思う。おそらく労組などが抵抗して免許取り上げもできなかったのだとは思うが、人命を預かる以上、そういう運転士を服務させるべきではなかったと思う。


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fumicat.com/mt/mt-tb.cgi/1350

コメント

てささんの日記でも触れられてましたがやはり憤りと危惧を感じます。
そろそろ独立国家の発動お願いします。
それにしても運転士の親御さんを思うと辛いです。家族が犯した過ちを背負う辛さもありますが、不完全な大人を社会に送り出してしまう未熟な製造者である痛み。
こんなことがあると子供を持つことが不安になります。こんな世の中で社会人を育て上げるのは難しいのかな?
もしかして「完成品の中からドロップアウトする少数の不良品」という時代は過ぎ「大多数の不良品の中で否定されていく完動品」なんて日が近いのでしょうか?
もしそうなら「そこに一番近い日本」という事に気付かない日本人は崖っぷちですよねェ。
そしてそれは教育で治りますか?それともまた敗戦のような大事がないとダメですか?

そうですね。親御さんを思うと本当に辛いですね。個人攻撃になることなく、過失からは目をそらさないで真剣に考えることが必要でしょう。また、甘やかしてしまうことがかえって本人のためにならないこともきちんと考える必要がありますね。
「大多数の不良品の中で否定されていく完動品」の時代はもう来ているかもしれませんね。そうなってくるとどっちが標準とは言えないわけです。そうであれば、もう、自分の所属する側を守る為に闘うことしか生き残る方法はないと思います。
僕はもう日本は沈没すると思いますので、自分の側の人たちとどこか新天地に移りたいと思っています。相容れない側の人との共存は無理ですから、どこかで分断するしかないのではないでしょうか?

コメントを投稿




きょうのカウンタ
きのうのカウンタ
ページカウンタ