« May 15, 2006 | メイン | June 19, 2006 »

May 25, 2006

スポーツマンシップ

男性救助せず登山続ける  エベレスト登頂めぐり議論

両足義足の人がエベレストに登頂した。それだけだったら良かったのだが、山頂付近で倒れている男性がいるのを知りながら救助せずに登ったらしい。 エベレストに世界で初めて登頂したヒラリー卿は非難しているらしい。それに対する反論は「自分にできることは何もなかった。」ということである。たしかに両足義足の人がエベレストの山頂付近で遭難者を発見しても何もできなくても不思議はない。しかし、このニュースによると、両足義足登山者御一行様は40名もいたらしい。一人の義足の人間を登らせるために39名サポートである。そこまでして両足義足で初登頂に意味があるのだろうか?倒れていた人に酸素吸入くらいできなかったのだろうか?これはスポーツマンシップの問題であり、健常者であれば激しく責められるところであろう。

有名な話では世界一周ヨットレースに出ていた日本のセーラーが遭難者救助のためにレースをあきらめた話など、勝利や記録の前に人としてやらなければならないことというものがある。ヒラリー卿の怒りももっともだ。彼の時代には冒険は貴族や上流階級のすることだった代わりに、求められることも多かったのだから当たり前のことだろう。体に障害のある人が努力してハンディキャップに打ち勝つ偉業を立てること自体は良いことだと思うが、時として「俺はハンディキャップだ!そこをどけ!」みたいな考え方をする人がいるのも事実。それに対してuntouchableとせずにきちんと諌めることも必要だ。

それとは別に、アメリカには臓器移植してもらってアイアンマンレースとかに出る人もいます。せっかくもらった内臓をそんなに痛めつけなくても。。。と思うことも。。。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fumicat.com/mt/mt-tb.cgi/1406

コメントを投稿


見えざる手と見える手

asahi.com: まちづくり三法の見直しで割れる経済界?-?住まいコラム「住まいのお役立ちコラム」

大型店が街中にできると客を取られるから、市街地に出展させない法律を作った。大型店は仕方がないので郊外に活路を求めた。大型店が郊外に移ったら客が大型店のある郊外に行ってしまって市街地は閑古鳥が鳴くようになってしまった。じゃあ、今度は大型店が郊外に出店することを規制しよう。そんな情けない法案を作るらしい。

国民が大型店を必要としているから、あるいは大型店のほうを評価しているから客が大型店に行くわけで、客に振り向いてもらう努力をせずに、「けしからん」で規制をするからこんなことになる。社会や市民に必要とされなくなった産業に居場所はない。必要とされるようになるか、消え去るかしか選択肢はない。そういう時代の変化を無理にとめようとしても無駄である。それを規制によってコントロールしても副作用が起きるのが関の山。こういう話を見ると、環境保護や自然保護とつい比較してしまう。たとえば、ハブ対策にマングースを導入したところ数が増えすぎて被害が大きいとか、鹿を保護したら増えすぎて森林が無くなったとか。原因に目を向けずに結果だけを人の手で変えるのは愚かなことだ。僕は自然科学における平衡論を学んだが、社会学においても「神の見えざる手」によるバランスを好ましく思う。ただ、時と場合によって、特に少数の人間による恣意的な操作に対しては神の手は力を失うから、平衡が移動する原因によっては介入も必要と思う。(たとえばアジア通貨危機) とはいえ、ほとんどの場合は神の手に任せたほうがよりよい形態へ進化するだろう。

日本のアニメとゲームがなぜ世界一になったかについて、とある識者がこう語っていた。「この産業は政府からまったく保護されなかったから。」

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.fumicat.com/mt/mt-tb.cgi/1405

コメントを投稿