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見えざる手と見える手

asahi.com: まちづくり三法の見直しで割れる経済界?-?住まいコラム「住まいのお役立ちコラム」

大型店が街中にできると客を取られるから、市街地に出展させない法律を作った。大型店は仕方がないので郊外に活路を求めた。大型店が郊外に移ったら客が大型店のある郊外に行ってしまって市街地は閑古鳥が鳴くようになってしまった。じゃあ、今度は大型店が郊外に出店することを規制しよう。そんな情けない法案を作るらしい。

国民が大型店を必要としているから、あるいは大型店のほうを評価しているから客が大型店に行くわけで、客に振り向いてもらう努力をせずに、「けしからん」で規制をするからこんなことになる。社会や市民に必要とされなくなった産業に居場所はない。必要とされるようになるか、消え去るかしか選択肢はない。そういう時代の変化を無理にとめようとしても無駄である。それを規制によってコントロールしても副作用が起きるのが関の山。こういう話を見ると、環境保護や自然保護とつい比較してしまう。たとえば、ハブ対策にマングースを導入したところ数が増えすぎて被害が大きいとか、鹿を保護したら増えすぎて森林が無くなったとか。原因に目を向けずに結果だけを人の手で変えるのは愚かなことだ。僕は自然科学における平衡論を学んだが、社会学においても「神の見えざる手」によるバランスを好ましく思う。ただ、時と場合によって、特に少数の人間による恣意的な操作に対しては神の手は力を失うから、平衡が移動する原因によっては介入も必要と思う。(たとえばアジア通貨危機) とはいえ、ほとんどの場合は神の手に任せたほうがよりよい形態へ進化するだろう。

日本のアニメとゲームがなぜ世界一になったかについて、とある識者がこう語っていた。「この産業は政府からまったく保護されなかったから。」


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