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ブラジル訪問

しばらく南米に行ってきた。南米大陸で最も古く最も高級とされるビジネススクールでのワークショップに参加してきたため。非英語圏への一人旅ということや、初めての南米ということもあり、きわめて色々考えさせられる旅であった。
ブラジルと言えば、サッカー、コーヒー、アマゾンくらいしかイメージがなかったが、実はものすごい多民族多文化国家。たとえば、サンパウロは世界最大のイタリア人都市!とか、もちろん在外日系人でも最大多数とか、。。。そして、格差や差別もものすごいのであった。
今回のワークショップではブラジルについての学習がメインであったため、格差についての話もいろいろ聞いた。そして学校はもちろんお金持ちの子供しか入れない学校なので、肌の色が濃い生徒は一人もいない。白人もしくは色の白いアジア人のみである。女の子はほとんどみんな美人と言っても差し支えない感じ。簡単に言えばブラジル格差社会の頂点のみを集めた集団だ。外為のおかげで彼等と一緒に食事に行ったりもできるが、自分の所属する国家の中での位置という見方をすれば、私なんか足元にも及ばない超上流階級のご子息たちなのであろうと思った。このあたりがアメリカ人には理解できないコンセプトなのだが。。。
ブラジルにとっての不幸は南米諸国と同様の貧者の社会主義的思想がまかりとおって、政治が膠着していることだ。法律は所得の再分配(正確には資産の再分配)を狙ったものばかりで、結果として資本家や資産家がビジネスを開きにくくしている。北風と太陽ではないが、奪おうとすれば余計手放さなくなるのが人情というもの。また、あまりに世界を知らなさ過ぎる、というか強烈なアメリカコンプレックスに固まっているのも不幸といえば不幸。
ものすごい数の貧民を作り上げるのも、簡単に言えば、働かなくても生きていけるから、というのが結論だと思う。動いて上のレベルを目指すよりは動かないほうがいいやという思想が生まれるのも実りの豊かな自然のおかげなのだろうか?食べ物はおいしい上に格安で、ほんのわずかなお金があれば十分生きていけてしまう。ストリートチルドレンが交差点で大道芸をしたり、窓を拭いてチップをねだったりするのも、車を持てる上流階級にとってのチップ額でストリートチルドレンは一日食っていけるからでもある。
ヘリ通勤をする企業幹部からドブ川に暮らす人まで、格差たるや天文学的であろうと思う。それに比べれば日本の格差など誤差のうちにも入らない。おまけに、肌の色で就職できないこともない。努力の差によって生まれた格差であれば是正する必要はないと私は思う。生まれながらに発生するブラジルの格差ですら、無理に是正すべきとは思わない。誰のせいかはともかくとして、現実に教育を全く受けていない人間にも同じ一票を与えることでブラジルの発展は阻害されている。(完全な個人の人気投票になっていて、ほぼ毎回政治家が変わるから政治が機能していない。投票率は驚きの9割以上)国家の発展がなければ貧困対策も不可能であるし、むしろ資産家の喜捨や社会貢献の善意に任せたほうが良かったのではないかと思えることも多い。政府がむしりとることばかり考えるから金持ちは何もしなくなってしまった。
”民主主義”と呼ばれるものの弊害ばかり感じた3週間だった。


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