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科学は信仰であるが。。。

神戸新聞ニュース:社説/2006.04.29/データ捏造/科学にあるまじき行いだ

科学を志すということは科学を信仰するのと一緒で、捏造とかやっちゃったら、破門なんだよね。それは神への背徳と一緒であって、どんなに苦しくても信仰か死かというレベルで守らなかったら科学という宗教は成り立たない。よって、それは絶対許されない。

のだけれど、じゃあ科学の恩恵を受けている人たちは丸儲け+背徳者に石を投げるだけでいいの?という問題がある。
この信仰は本人のプライドによって守られるもので、衣食足りて礼節を知るではないが、現在の日本の科学者の置かれている立場を考えると、科学の恩恵をタダで横取りしているだけの新聞記者が偉そうなことを言うな!という気にもなる。
二言目にはノーブレスオブリジだが、ノーブルな扱いをしてくれたことが一度でもあるのか?と問いたい。博士にもなったら一生家賃の心配などしなくていいんだよねーという世の中なら「あるまじき」とか言ってもいいが、博士号をとったら一生裕福にはなれないんだよねーという方が普通の日本において、実利を与えずに働けルールを守れ文句を言うなというのは無茶な話だと思う。
(修士を終える時点で博士を追求すれば就職の自由や将来の高収入が閉ざされる危険があるということはよく聞く話である。能力が高くなるが故に自由が減るとは何と不条理なことか)

ちなみに我が兄弟は、科学と研究への信仰が高いほど所得が極端に減るという典型的な関係にある。僕は遊びたいし、良い車に乗りたいので功徳を積むのをあきらめた。一生困らないほど資産ができたら、改めて信仰を深めたいものだ。


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