敗戦は必至だったのか?
tesaさんのBlogに先の大戦に対する評価は、今しばらく待つことになろうという記述があった。
70年経たないと歴史はわからない 群青色日記/ウェブリブログ
たしかに、直接知っている人間が影響を直接受けているうちは評価は難しい。私は原爆による被害は本土決戦よりは少なかっただろうという考え方をしているが、それだって自分の親、親戚が直接原爆を浴びていたら、そうは思えないだろうと思う。
私の親戚はほとんどが職業上の理由により徴兵免除だったせいもあり、直接の被害を直接に聞かないことも影響していると思う。直接の世代が消えるまでは難しいというのは納得がいく。もっとも会津藩士のように代々語り継げば70年では感情の偏りが消えるには短すぎると思うが。
どういう結果が一番リターンが多かったか?ということの定義によって、無駄な死かどうかは変わるだろうし、そもそも勝ち目自体どこかの時点であったのか?という話にもなろう。ベトナムやイラクのように消耗戦になって、アメリカが嫌気がさして引き上げるという結末はあっても、アメリカに降伏文書に調印させるということはほとんど不可能に近いだろう。それは国力の差のみならず、地理的な条件もあって、アメリカ本土に対して直接継続的な攻撃ができる状況を作らなければ、熱狂国家が降伏することはないと考えられる。1940年の技術ではオールヨーロッパとオールアジアが組んでいてもアメリカに降伏を迫ることは無理だったろう。ドイツのソビエト侵攻が無く、独ソ日が連携できて、なおかつブラジルあたりと提携でもしない限り、勝利どころか継続的な戦争すら難しかったのではないだろうか?
アメリカにおいては戦争というのは戦争屋がするものであって、一般市民には関係ないものである。それは第二次大戦中にパーティーをしているゴッドファザーのシーンにも見て取れるし、今だってイラクで戦争をしていて米兵が死ぬことには触れるが、同時に何万人ものイラク市民が被害を受けていることは”見えない”のだ。第二次大戦においても、女性が工場で働けるようになり社会進出をしやすくなったという利点が大きく評価される一方、市民生活はそんなに困窮しなかった。つまり、市民にとっては、多少痒いけど痛くはなかったのだ。だから、降伏などアメリカでは夢にも出てこない選択肢でしかない。今のアメリカがサダム・フセインの前で降伏文書に調印することがないであろうと同じくらい、当時のアメリカが日本に降伏することは有り得なかったと思う。
アメリカのヒストリーチャンネルなどを見ていると、アメリカが最も困ったことは大西洋、カリブ海におけるUボートだったようだ。これが通商と補給を大きく阻害した。油田がテキサスにあるのに、製油所がニューイングランドにしかなかったから、その間のタンカー輸送が閉ざされたのがアメリカ本土にとっての最大の危機だったようだ。ドイツ海軍と日本海軍が連携できたら、少しは風向きも変わったのかもしれない。日本はアメリカと戦争したのではなく、マッカーサー軍閥と戦争したようなもので、アメリカ本土へはほとんどダメージを与えていない。それでもアメリカ50州に爆撃をしたのは日本とアルカイダしかいないんだから、大したものだけど。