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February 28, 2007

科学という信仰

何度か書いたけど、僕にとって自然科学は信仰に近い。自然科学が発生した理由も、宗教と大差ないと思う。かたや神頼みしてよい結果を求めたのに対し、かたや過去のデータから未来を予測できる理論を組み立ててよい結果を求めただけだ。人類の初期の科学や信仰が発生してから何千年も経つが、どちらか一方が完全に勝利を収めたわけではない。

僕にとって、この信仰は意味があると最近改めて思うことが多くなった。というのも、科学という信仰が極めて弱いアメリカの人たちの中で暮らしていると、自分一人だけに未来が見えることがよくあるのだ。正確には、自分には自明とわかっていることに自分以外の誰もが気づかない、ということがよくある。僕を主体に考えれば、どうしてこんな明らかなことに気づかないの?となるが、彼らを主体に考えれば、一人だけが未来を予言している状態になる。神様が明日は晴れだと言っている、では誰も信じてくれない。科学という信仰がない人間には、神の声は聞こえないのだ。ガウスが1から100まで全部足せと教師に言われたときに、ものの数秒で5050と答えたら、信仰のない教師は、大嘘、あてずっぽうとしか思わず、正解とは思うまい。もし正解なら神の啓示としか思うまい。

科学が絶対の信仰ではない可能性もあろう。決してそれは否定しない。もし反証が現れれば、それに従うのもまた科学の教義だから。しかし、科学という宗教に帰依している以上、それに対する信頼を持ち、その教義に反することはしない。それが信者のとる道だ。

そんななか、信者が最もしてはいけない行為がある。それが、捏造だ。それもデータの捏造は地獄に100万遍落ちても罰し足りないくらいの罪である。

論文ねつ造:大阪府立大院生認める 想像で数値データ入力-話題:MSN毎日インタラクティブ

思えば僕は恵まれていたのかもしれない。幼い時から良き導師に教えられてきたのかもしれない。ある先生には、観測値には誤差がかならずあるのだから、グラフは点ではなく面積のある丸で書けと言われた。ある先生には、実験ミスだと明確に意識していたとしてもデータを決して削除するなと言われた。これらは、仕事の手順というよりは、完全に信仰の世界である。きれいな曲線のデータからはみ出した点があれば、それは悔しいし恥ずかしい。しかし、それを甘んじて受け入れて発表しなければいけないのは信仰心なしにはできない。その信仰心は、ここまでこの宗教を作り上げてきてくれた先人に対する感謝でもあり、新しい発見の機会を授かりたい苦行なのかもしれないが。

私の師は、学問ももちろんだが、信者の姿勢を本当によく教えてくれたと思う。機械ですれば5分で結果がわかる実験に3日も費やした。それは目先の結果や多量のデータを得るためではなく、私という信者がこの宗教の中でより多くを学べるようにするためであり、私により多くの神の言葉を聞ける能力を与えてくれた。

多くの国立大学が行政法人になり、競争原理という名の下に論文の数で予算が割り振られるようになったときに、データの数を減らしても、論文の数を減らしても、予算の枠を減らされても、信仰を最初に教えてくれる教授がどれだけ残っているのだろうか?とても心配でならない。

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February 27, 2007

敗戦は必至だったのか?

tesaさんのBlogに先の大戦に対する評価は、今しばらく待つことになろうという記述があった。
70年経たないと歴史はわからない 群青色日記/ウェブリブログ

たしかに、直接知っている人間が影響を直接受けているうちは評価は難しい。私は原爆による被害は本土決戦よりは少なかっただろうという考え方をしているが、それだって自分の親、親戚が直接原爆を浴びていたら、そうは思えないだろうと思う。
私の親戚はほとんどが職業上の理由により徴兵免除だったせいもあり、直接の被害を直接に聞かないことも影響していると思う。直接の世代が消えるまでは難しいというのは納得がいく。もっとも会津藩士のように代々語り継げば70年では感情の偏りが消えるには短すぎると思うが。

どういう結果が一番リターンが多かったか?ということの定義によって、無駄な死かどうかは変わるだろうし、そもそも勝ち目自体どこかの時点であったのか?という話にもなろう。ベトナムやイラクのように消耗戦になって、アメリカが嫌気がさして引き上げるという結末はあっても、アメリカに降伏文書に調印させるということはほとんど不可能に近いだろう。それは国力の差のみならず、地理的な条件もあって、アメリカ本土に対して直接継続的な攻撃ができる状況を作らなければ、熱狂国家が降伏することはないと考えられる。1940年の技術ではオールヨーロッパとオールアジアが組んでいてもアメリカに降伏を迫ることは無理だったろう。ドイツのソビエト侵攻が無く、独ソ日が連携できて、なおかつブラジルあたりと提携でもしない限り、勝利どころか継続的な戦争すら難しかったのではないだろうか?

アメリカにおいては戦争というのは戦争屋がするものであって、一般市民には関係ないものである。それは第二次大戦中にパーティーをしているゴッドファザーのシーンにも見て取れるし、今だってイラクで戦争をしていて米兵が死ぬことには触れるが、同時に何万人ものイラク市民が被害を受けていることは”見えない”のだ。第二次大戦においても、女性が工場で働けるようになり社会進出をしやすくなったという利点が大きく評価される一方、市民生活はそんなに困窮しなかった。つまり、市民にとっては、多少痒いけど痛くはなかったのだ。だから、降伏などアメリカでは夢にも出てこない選択肢でしかない。今のアメリカがサダム・フセインの前で降伏文書に調印することがないであろうと同じくらい、当時のアメリカが日本に降伏することは有り得なかったと思う。

アメリカのヒストリーチャンネルなどを見ていると、アメリカが最も困ったことは大西洋、カリブ海におけるUボートだったようだ。これが通商と補給を大きく阻害した。油田がテキサスにあるのに、製油所がニューイングランドにしかなかったから、その間のタンカー輸送が閉ざされたのがアメリカ本土にとっての最大の危機だったようだ。ドイツ海軍と日本海軍が連携できたら、少しは風向きも変わったのかもしれない。日本はアメリカと戦争したのではなく、マッカーサー軍閥と戦争したようなもので、アメリカ本土へはほとんどダメージを与えていない。それでもアメリカ50州に爆撃をしたのは日本とアルカイダしかいないんだから、大したものだけど。

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February 26, 2007

GTOに問題あり

報道によると、アメリカ向けのGTOにタイヤとストラットの干渉があり、タイヤの破損につながっているらしい。走行中の破損となれば重大事故になりかねないだけでなく、現在は1万マイルも行かずに破損につながっているにもかかわらず、ユーザーの自己負担となっているようだ。
オーストラリア向けに比べて、実寸で10mmほど広いタイヤがアメリカ向けに装着されていることが原因のようだ。
多くの人が見落としているが、タイヤの実寸は規格の公差でかなり違う。一部のメーカーは規格上のサイズに加え、実際の周囲なども公表しているが、ぎりぎりまで詰めた使用をする時は、規格に惑わされず実寸を確認することが重要である。
つまり、簡単に言うと、同じ235/50-17でも、銘柄やメーカーが違えば、幅も直径も違うということ。違いは数cmにも及ぶので気をつけよう。

Inside Line: Auto Watchdog Group Calls for Investigation of Pontiac GTO -

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February 19, 2007

枯れ山を緑に

山を緑にしよう!!!と言って緑のペンキを塗るって言うのは、かなり面白いジョークなんだけど、中国では実際に地方政府の予算でそういうことをしたりするからすごい。他にも芝生を緑に事件もあったけど。。。

なぜ中国人は着色するか? 群青色日記/ウェブリブログ

狩猟民族と農耕民族の差か、はたまた何千年も抑圧された人の子孫しかいない日本人の特殊性かはわからないけど、日本の多くの常識が世界的には非常識なことは多いと常々思う。
たとえば、他人に迷惑をかけてはいけない、というのは世界では少数意見。狩猟民族がそんなこと気にしたら食べ物が無くなるから迷惑当たり前。一神教も他宗教への攻撃は善だから、当然迷惑OK. ついでにいうと他人に配慮したところで他人に配慮しない人には全く伝わらない。むしろ配慮せずにクレームが来てから対応する方が高く評価される。よって、時にはぶつかるまではよけないようなアクションがアメリカでは求められる。

中国人の歴史的背景か教育かはともかく、その特殊性はかなりのものと思われる。私ら日本人が言うならともかく、民族的には中国と同じ台湾やシンガポール人もかなり迷惑しているらしい。私の友人でシンガポール人だけど、現在上海駐在の人がいる。先日、シカゴに来て、何千ドルか何万ドルか買い物していった。というのも、同じブランドは上海にもあるが、品質がひどかったり、詐欺まがいが多くて、安心して買い物できないのだそうだ。
たとえば、(上海での)高級店でルイヴィトンなどのバッグを買うと、お金を払ってから包装する時に中身を偽物と入れ替えたり平気でするそうだ。で、(同じ中華民族の)彼女の口からも、「そんなことしたら、客を失うってわからないのかしら?少しは長期的な視野ってもてないのかしら?」と言われることになる。
中国では、電化製品などは、お金を払ったら、その場で電源を入れて動作を全部確認してから受け取るのが常識なのだが、機能性商品でなければそのステップが無いから誤魔化して儲けようとするらしい。

日本においては、誠実とか品格とかプラスに評価されることだったり、社会人として常識的に備えるべき資質だったりすることが、他の国では当てはまらないこと自体は多いのだが、現在の中国のあまりの特殊性は、むしろ政治の不安定さから来ているのではないか?と私は推察している。

辛亥革命、対日共同抗戦、長征、文化大革命、etc。 (政治的に正しいとされる)価値観の大転換で、昨日まで善だったことが悪になり、貯めていたものが奪われ、長期的な計画が台無しになることの連続が続いたから、明日のために今日我慢することが省みられなくなり、その場しのぎで食えるときに食っとけという価値観が支配的になったのではないだろうか?

中国の価値観は中国の価値観で大いにけっこうで、違うものは違うから、それはそれでかまわないのだが、だったらそこから出てこないで欲しい。出てきても中国本土の価値観のままで行動されるので、大迷惑になる。郷に入りては郷に従え、という考え方も、私の見た限り世界では少数派のようだ。たぶん、ドイツ人と日本人くらいしか、そんなこと考えていないだろう。 (アメリカで一番人口が多いのはドイツ人の子孫にも関わらず、ドイツ文化は最も目立たない。彼らはほとんどが先住者であるイギリス式に生活文化を改めた。対して、他の多くの国は今でもコロニーやゲットーを持っている。)

共産党も人口が多すぎて色々大変なんでしょう。独自文化や価値観も仕方ないからよしとしましょう。だから、お願いだから中国人を輸出しないで。。。というのが私の素直な気持ちです。緑に塗るのは中国の山だけにして欲しい。

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February 3, 2007

国民は誰のもの?

「除票」交付で転居先把握、NHKが総務省に要請 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

そもそも、住んでいる場所を国に届けなければいけないという時点でかなり人権侵害なのだが、それをNHKが利用できるとしたら??NHKはもはや国家から独立した団体ではなく、政府機関の一部ということになる。だったら、いっそ税金から徴収すればいいじゃないか?と思うのは私だけ?

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February 2, 2007

情けない野党

イタリアの政治家に諭されたようだけど、たぶん自分たちがどれだけ恥ずかしいことをしているか、わかっていないんだろうなぁ。。。
確かに女性を機械に例えたのは良くなかった。男性側のそういう思想が少子化を招いたのも事実だと思う。世界的に見ても女性の社会的地位が歴史的に低かった地域で女性の地位が向上すると少子化が進行している。しかし、いくら発言が悪かったとはいえ、表面的な言葉選びを責めて言葉狩りをして良いのだろうか?特に野党が。。。。
発言の裏にある思想が問題であるというのなら、資質を問うて辞任を迫るのも良かろう。しかし、言葉選びを間違ったことをもって大臣を辞任しろとか審議拒否とか、そんなことを言っている場合じゃなかろう。むしろ、野党側にまったく現状に対する危機意識がないことをさらしているだけだ。


時事ドットコム

以下、引用~

来日中のダレーマ・イタリア外相が1日、民主党の鳩山由紀夫幹事長と都内で会談した際、同党が柳沢伯夫厚生労働相の「女性は産む機械」発言で政府・与党に攻勢を掛けていることに関連し、スキャンダルの追及だけで政権交代を実現するのは難しいと助言する一幕があった。
 会談で、鳩山氏は柳沢氏の発言を挙げ、「安倍内閣はさまざまなスキャンダルが出ている」と報告。ダレーマ氏は「(われわれも)かつてスキャンダルで政権交代を狙ったが、それだけではなかなか難しかった」と語った。

引用終わり

ちなみにほぼ同時期にイタリアでは、元首相の奥さんが、「夫が若い女を口説いたりして、頭に来る」と激怒して、夫が公開謝罪文を掲載したという一幕があったらしい。イタリアらしいエピソード。

また、同じころ、ベネズエラでは大統領の権限強化に対する国会承認が圧倒的多数で可決された。実は先の選挙で野党がボイコットをしたので、全面与党の国会になったためである。審議拒否という行動がどれだけ間抜けなことか、この例を見れば明らかだろう。特に小泉政権下で圧倒的多数を獲得した与党がいるのに審議拒否をすれば、実質的に全面GOサインを出していると同じだ。
審議拒否した議員は全員歳費を返上するべきだろう。

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