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October 11, 2007

未来が見える?

完全にじゃなくても、なんとなく未来が見えたら便利だろうか?
十中八九くらいの確率で予測が当たれば便利だろうか?
予想できないことも多いけど、予想できることがそこそこあったら便利だろうか?

人類は野生の本能が退化した分、知恵を発達させることで、おぼろげながらも未来を予想できるように進化してきた。たとえば、構造と材質を調べることで、どれだけ重い車が通ったら橋が落ちるのか、かなりの確率で当てることができる。
いわゆる予知能力とは違う。でも、そこそこの確実性で未来が見えることは確かだ。
知恵、知識、経験、感性、その他を磨くことでこの能力は進化する。

逆を言うと、磨かなければ大した能力にならない。

アメリカで学生生活をして、発見したことの1つが、僕には見えているものが多くの人には見えていないということだ。正直、ちと驚いた。というのも、僕の感覚だと、それが見えずに生活することは怖くてたまらないからだ。目が見える人には、目が見えない人の生活はものすごく不自由に見えるのと同じで、僕には世の出来事の理がほとんど見えていない人達の生活は、おそろしく不安なものに見える。

おそらく似たようなものとしては、将棋や囲碁の名人の感覚があると思う。彼らは未来を読みあって戦っている。1手先までしか考えずに将棋を打つ人間など無謀の極みに見えることだろう。

子供のころに聞いたエジソンの話では、彼は何から何まで「なんでそうなるの?」と質問する子だったらしい。偉人伝の中ではそれが変わったことのように伝えられていたが、僕の感覚では「なんで?」って聞くのは、至極当然のことにしか思えなかったし、今でもそう思う。なぜなら、なんでそうなるかわかっていないものに依存して生きるなどおっかなくてできないからだ。車に乗るなら、なんで車が動くのか、なんで止まるのか、わかってなければ恐ろしい。SKIをした時は、なぜ曲がれるのかわからなかったら不安だろう。もちろん、世の中には「なぜ?」を追求しても不安解消にならないものもある。たとえば、なぜ英語では、私も俺も皆”I”なの?というのは、そういう言語だからという答えが一番しっくりくるだろうし、なぜがわからなくても、そんなに不安ではない。(もちろん、古語に遡って、なぜそうなったのかを知るのは、非常に興味深いことであるが、優先度としては低くなる。)でも、生活の中の多くのことは、なぜ?がわかっていたほうが安心するし、期待する結果が得られないときは因果関係を遡れば対策もできるだろう。さらには、なぜ?こうなるのかを知っていれば、原因が発生したときに結果の予想もつくというもの。

個別に数えたわけではないけど、生活で手にする、目にするものの、ほとんどについては「なぜ?」がわかっていると思うし、それが僕にとっては財産のようだ。そのおかげで、他の人には見えない未来が見えるようだ。(正確には、他の人にはこれが見えていないらしい。と表現するべきかも)

今までは、割と無駄になっていたこの能力だが、最近は株やオプションの投資を始めたことで、やっと回収ができるようになった。最初は、あんまり簡単に儲かりすぎて、ちょっと不安だったが、世間の人々には未来が見えていないことを知り、最近は安心して利益を出せるようになった。少なくとも、世のありとあらゆる現象について、「なぜそうなるのか?」を説明するコンテストがあったら、TOP1%には間違いなく入れるだろうから、近未来予想コンテストたる投資で良い結果が出ても、そんなに驚くには値しないのかもしれない。

別にエスパーなわけではないし、天賦の才能でもない、長年の努力の結果だから、遠慮することなく享受しよう。
"not given. achieved" (アメリカ海兵隊のコピーより)

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